名古屋国際女子マラソン、観ましたよ。
高橋尚子の走りが注目でしたよね。
メディアも期待してたんでしょうね。
でもね、やっぱりねって結果でした。(←いや〜ん、偉そうね。でもって、冷たい?お許しくだされ。)
試合前の高橋の発言を聞いたら、注目はしても期待はしてはいけないと思えたんですよね。
高橋が、走りの全てを自分の責任のもとで負うような発言をしていたので、これは危ういなと。
アスリートがこういった精神状態で競技の事を考え出すと(形をとるようになると)、アスリートとしてとても大事な部分、本能で身体を動かせる部分

が、減っていくような気がしてならなかったんですよね。
もちろん、アスリートがアタマを使わずにカラダを動かしているという意味ではなく、身体が動くという感覚を頭で考える時間が増えた分、一流のアスリートが一種の才能として持ち合わせている、感覚を身体に伝えていく速さ(=本能による動き)を鈍らせしまうことにならないのかと、気になってたんです。
走りの勝負になった時、すなわち試合において勝負に出られるのかと。
勝負に勝たなければ、オリンピック行きは遠退いてゆきますしね。
しかし、彼女の経験知からすれば色々と、あーんなことやこーんなことも考えて、頭だってフル回転しちゃうわけで、この時、頭と身体のバランスをどうとろうとしたのか。
頭に支配される身体の動きと、身体が欲する動きにそのまま反応する身体を、敵と捉えるのか、それとも味方に出来るのか。
このバランス感覚に優れていたからこそ一流のアスリートと賞賛される結果を残してきた高橋にとって、術後間もないことなど走りに影を落とすようなものもあったようで、バランスを乱される条件が揃ってしまった状況に、頭に支配された身体というものがどれだけ動くのかということに、いつの間にか高橋は、ひとりで全てを背負うこと(=頭で走る事)をしてしまい、結果的に、身体が動くよりも前に、いや、身体を動かせる状態になる前に頭を動かしてしまったようですね。
ひとりっきりで自分を追い詰めすぎちゃったと表現はすればいいのかな。
スタッフがいても難しいんですね。
頭だけでは試合には勝てないし、身体だけでも勝てないですしね。
それだけ、背負うものがあるというのは深い人生であり、当然、注目されるべき一流のアスリートである証拠でもあるのでしょうね。
確かに、何も考えて無い方が勢いがあったり、人生、楽だったりしちゃうのも世の常ではありますが、高橋の走りそのものが人々に与える影響力の大きさや凄さを考えると、彼女の生き様ってのもなかなかWildでCooooolなものでありますな。
一流って大変っすね。
うーむ。
となると、カッコイイかも、高橋って。
好きなだけ走って、気の済むまで走って、自分の求めるものが何なのか、追及できたその先に見えたものを、大事にしてほしいですね。
こういうアスリートがいるってことが日本

の誇りで宝っす。
エライよ、高橋。
